顕彰祭・慰霊祭

顕彰祭・慰霊祭
軍艦長良慰霊祭

昨年に引き続き、今年も軍艦長良慰霊祭に参列させていただきました。昭和19年8月7日に牛深の沖合い10km辺りで米軍の潜水艦の魚雷を受けて軽巡洋艦・長良が撃沈されてしまいました。その長良を偲び、当時牛深で野菜の行商等を営んでいた佐々木ツルさんが一人ではじめたのが軍艦長良慰霊祭です。佐々木ツルさんは私費を投じて軍艦長良慰霊碑をはじめ五基の慰霊碑を建立し、毎朝欠かさず祈りを捧げました。昭和61年に佐々木ツルさんが帰幽なされた後は天草市社会福祉協議会の福本壮一さんがその遺志を引き継ぎ、今年も無事に軍艦長良慰霊祭が斎行されました。牛深までの道中、視界が見えなくなる程の激しい雷雨に見舞われましたが、慰霊祭が始まる頃にはぴたっと降り止み、慰霊祭終了後に軍艦長良慰霊碑と佐々木ツルさんのお墓をお参りする頃には綺麗な青空が広がっていました。人知れずに毎朝慰霊の真心を捧げ続けられた佐々木ツルさんは我々のお手本となる肥後の偉人です。肥後の偉人顕彰会ではこれからも佐々木ツルさんを顕彰し、佐々木ツルさんの慰霊の真心に少しでも近づけるよう心を磨いていく所存です。 肥後の偉人顕彰会会長 永田誠

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顕彰祭・慰霊祭
令和4年 井上毅先生顕彰祭

3月15日は郷土の偉人・井上毅先生のご命日です。ご命日に先立ち、13日に必由館高校に建立されている井上毅先生誕生地碑の前で大祓の祝詞を奏上し、教育勅語を奉唱致しました。その後11時から熊本県護国神社顕彰会館にて井上毅先生顕彰祭を斎行させていただきました。井上毅先生のご命日に神事をもってそのご遺徳を偲ぶことは私の念願であり、その念願を今年ようやく果たせたことは万感胸に迫るものがありました。神事後の講演では私が井上毅先生に興味を持ったきっかけや顕彰をはじめた動機等を話させていただきました。私より井上毅先生について詳しい方はたくさんいると思います。しかしその方々の中に井上毅先生の顕彰祭を執り行う方はなぜか一人もいません。熊本では楠木正成公の楠公祭や三島由紀夫先生の憂国忌等熊本県出身ではない方のご遺徳を偲ぶ神事は斎行されているのに、なぜ熊本県出身で一番の功績をあげられた井上毅先生の顕彰祭はないのか、私にはずっと疑問でした。私が井上毅先生に興味を持ち、色々と調べはじめてまだ10年足らず、そんな私が執り行うのは出過ぎた真似かもしれませんが、他にする人がいないのであれば私がするしかない、その思いは日に日に大きくなり、そして今年その思いを実現できたことはこの上ない喜びです。念願を達成することはできましたがこれがゴールというわけではありませんので、これからも一人でも多くの方に知っていただけるよう井上毅先生の顕彰に精力的に取り組んでいく所存です。 肥後の偉人顕彰会会長 永田誠

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顕彰祭・慰霊祭
令和4年元田永孚先生顕彰祭

元田永孚先生のご命日である1月22日に熊本県護国神社にて令和4年元田永孚先生顕彰祭を斎行致しました。明治天皇の侍講(教育係)を20年間お務めになられ、教育勅語をはじめ欧米流の知識を偏重する風潮を正すために仁義忠孝を本とした徳育の普及に尽力なされた元田永孚先生は郷土の偉人です。顕彰祭には約30名の方々にご参列いただき、元田永孚先生のご遺徳を偲びました。まずは顕彰祭に先立ち、和歌の形式をふまえて国歌を2回斉唱し、慰霊顕彰祭では敬愛吟道会会長の中村城岳先生に楠帯刀の歌を吟詠していただきました。この楠帯刀の歌は楠木正成の子・正行を讃えた元田永孚先生の自作の漢詩であり、明治10年11月21日の観菊の御宴で明治天皇にご披露なされた漢詩です。元田先生はこの日はのどの調子がすぐれませんでしたが、元田先生の詩吟をお聞きになった明治天皇は「菊は来年も見られるが元田の声は来年はどうなるか分からない。朕は菊よりも元田の詩吟を愛するぞ」とおっしゃられたそうです。元田先生の詩吟をお聞きになられた明治天皇は大変にご満足なお顔をされたいたそうで、その場にいた方々は「今夜のように陛下のご機嫌のうるわしいことを拝した日はない」と申されていたそうです。明治天皇もお聴きになられた元田永孚先生自作の漢詩を中村城岳先生に吟詠していただけたことは本当に嬉しく、大いに感謝致しました。講演では諸熊明彦先生に「元田永孚先生と現在の道徳教育」という演題でお話いただき、元田永孚先生についての学びをより深めることができました。元田永孚先生が明らかになされた教育の根本は現代にも根付いています。顕彰祭やその他の顕彰活動を通じて元田永孚先生のご功績をもっと多くの方々に知っていただけるようこれからも微力ではありますが尽くしていく所存です。ご参列してくださった皆様、本日は本当にありがとうございました。 肥後の偉人顕彰会会長 永田誠

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顕彰祭・慰霊祭
軍艦長良慰霊祭

うしぶか海彩館の2階にある軍艦長良記念館向かいの視聴覚室にて斎行されました軍艦長良慰霊祭に参列してきました。軍艦長良(巡洋艦)は昭和19年8月7日12時20分頃に牛深沖でアメリカの潜水艦クローラーの雷撃によって撃沈され、中原艦長以下348名が長良と運命を共にし、237名が地元の漁師達によって救助されました。長良撃沈の報せを聞いた佐々木ツルさんは娘のカナエと一緒に仏壇に手を合わせて、長良と運命を共になされた方々のご冥福をお祈りされました。そして戦後になり、軍艦長良の慰霊碑や国のために命を尽くされた方々の供養をする慰霊碑を建立する決意をされます。「空襲や原爆によって親兄弟が死に絶えた戦死者の供養はしてやる者がおらん。私はおなごの身で金も持たんがせめてそういう人がたの供養をしておあげせねばならん」その一心で染物や野菜を売る行商で得た売上の一部を貯金し、慰霊碑建立を決心してから22年、日清日露慰霊塔、陸軍記念碑、海軍記念碑、無縁仏塔戦没者慰霊碑、山本元帥弔魂碑、そして軍艦長良慰霊碑を建立なされました。慰霊碑を建立するまでは毎年長良が撃沈された日に洋上で慰霊をし、慰霊碑が建立されてからは一日も欠かすことなく毎朝慰霊をし続けました。40年以上にわたって慰霊を続けた佐々木ツルさんのその魂に私は日本人の真心を見ました。佐々木ツルさんは昭和61年に88歳で永眠なされますが、その魂は天草市社会福祉協議会の福本壮一さんに受け継がれ、毎年8月7日に軍艦長良慰霊祭が斎行されています。肥後の偉人顕彰会では佐々木ツルさんを肥後の偉人として顕彰し、これからも軍艦長良の慰霊祭に参列し続けようと思います。肥後の偉人顕彰会会長 永田誠

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元田永孚先生慰霊顕彰祭

熊本県護国神社顕彰会館にて元田永孚先生慰霊顕彰祭を斎行致しました。元田永孚先生は明治天皇の教育係を20年お務めになられ、同郷の井上毅先生と共に教育勅語を起草し、日本人として必要な教育の理念、教育の根本を明らかになされた郷土の偉人です。しかし、その素晴らしき郷土の偉人に対して行政も教育界も敬意が欠けているのではないかと感じていた私は元田永孚先生をしっかりと顕彰するためにも慰霊祭を執り行わなければいけないと思うようになり、周囲にもそのような話をしておりましたが中々実現できず、肥後の偉人顕彰会を立ち上げたことを契機に多くの方々のご協力を得て、この度ようやく斎行することができました。慰霊祭では熊本県護国神社の中村禰宜が元田先生への思いを込められた素晴らしい祝詞を奏上してくださり、私は大変感動致しました。また、詩吟朗詠錦城会の吉居城柊総教師範が元田永孚先生がお書きになった中庸の漢詩を見事に朗々と読み上げてくださり、そして参列者全員で教育勅語を奉唱した時は感動で涙が溢れそうになりました。慰霊祭が終わりますと第2部の顕彰祭へと移り、外口会長がさすが会長だけあって立派な挨拶をしてくださり、また、存亡の危にあった元田永孚先生誕生地碑の件でご尽力くださった熊本県教育振興会の梅木節男名誉会長が1週間以内にサクラマチクマモトの地下通路にある元田永孚先生誕生地碑の碑文を写したプレートの横に元田永孚先生の肖像画と説明文を設置すると報告してくださいました。次に元田永孚先生の遠縁にあたる元田暁輝先生が挨拶をしてくださいました。私は今回元田暁輝先生がご参列くださいましたことを非常に嬉しく思いました。遠縁とはいえご子孫の方が慰霊祭に参加してくださったことを一番お喜びなのは間違いなく元田永孚先生です。元田暁輝先生がご参列してくださったことで今回の慰霊祭は大きな意義を持ったと思います。元田暁輝先生のご挨拶が終わると木原稔衆議院議員と野田毅衆議院議員からの祝辞を披露し、そして私が元田永孚先生のご功績と誕生地碑及び旧宅碑の現状と経緯を報告させていただきました。誕生地碑と旧宅碑の現状を初めて知った方々の中には雑に扱われている記念碑の現状に憤慨する方もおられ、歴史に思い入れがあればやはり許されることではないという気持ちを新たにしました。今回の元田永孚精神慰霊顕彰祭には30代から90代まで幅広くご参列していただけましたことを嬉しく思いましたが、プレスリリースをしたにもかかわらずマスコミが一社も来なかったことは残念でした。来年の慰霊祭はぜひ夕方のニュースに流してもらえるよう取り組んでいきたいと思います。最後になりましたが、本日ご参列してくださいました皆様、本当にありがとうございました。 肥後の偉人顕彰会副会長 永田誠

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顕彰祭・慰霊祭
井上毅先生慰霊顕彰会

3月17日に肥後の偉人顕彰会で井上毅先生慰霊顕彰会を開催しました。井上先生は熊本市坪井生まれ、大日本帝国憲法や教育勅語の起草などの多岐にわたる活躍から「明治国家形成のグランドデザイナー」と呼ばれる偉人です。顕彰会当日は、熊本市立必由館高校内にある井上毅先生誕生地碑の前で国旗を掲げて参加者全員で教育勅語を奉唱し、井上毅先生に感謝と哀悼の誠を捧げさせていただきました。慰霊顕彰会終了後、校内にある肥後熊本藩家老・米田家の庭園・採釣園と米田家旧邸を見学。米田家旧邸は熊本地震の際に倒壊し、未だそのままの状態でした。その後、場所を桜山神社に移し、神風連記念館を見学した後に社務所にて永田誠副会長が井上毅先生のご功績について講演。大日本帝国憲法や教育勅語の起草などの功績について説明したほか、信念を曲げられずに難局を乗り切ってこられたエピソードも交えながら紹介しました。毎年続けることで規模を拡大し、井上毅先生のご功績とその精神を多くの方々に伝えていければと思っておりますので、皆様もご協力のほど何卒よろしくお願いします。

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