阿部景器烈士のお墓を復旧
5月29日、熊本地震で倒壊した浦山墓地の阿部景器烈士のお墓を復旧してきました。
阿部景器烈士は神風連の参謀であり、戊辰の役では同じく神風連の富永守国らとともに東北を転戦、軍功をたてました。
尊皇攘夷の志篤く、國體をも危うくする施政の在り方、西洋の文明文化をありがたがる風潮に憤り、日本人が古来より大切にしてきた美風美徳、なにより國體を守るために明治9年10月24日、同志らとともに決起されます。
阿部景器烈士は本隊の一員として神風連首領の大田黒伴雄烈士、副首領の加屋霽堅烈士らとともに行動しましたが、大田黒烈士、加屋烈士が倒れ形勢が不利になると一党は散々に退却し、阿部景器烈士は再起に備え一旦水道町の自宅に戻ります。
石原運四郎烈士とともに一旦島原に逃れて秋月、萩と連携をはかろうとしましたが、捜索隊が石原家に及んだことを知ると自刃を決意。
石原運四郎烈士と向かい合い腹を切り、喉を突きました。行年36歳。(満34歳)
二人の死を見届けた阿部景器烈士の妻・以幾子も「お供いたします」と喉を突き、夫の後を追いました。行年26歳(満24歳)
神風連の烈士は和魂洋才を楽観的とし、良しとはしていませんでした。
和魂洋才、その言葉の意味するところは大変立派ではあるが、現実的にそのようなことは不可能であり、いずれ魂も洋に乗っ取られる。烈士の方々はそのように考えていました。
そして、現実はその通りになってしまいました。
耳障りのいい言葉に騙されず本質を見極める、神風連の烈士から我々が学ぶべき大切なことです。
阿部景器烈士のお墓の復旧後、竜田墓地に建立されている熊本県特別殉国者英霊供養塔を参拝させていただき、堀内伝右衛門屋敷・五高東光会立田山荘跡を見学しました。
ここはいわゆる民族派の方々が集会していた場所であり、星子敏雄元熊本市長や広瀬淡窓の曾孫・広瀬正雄らがここで日本人の真心を学び合ったそうです。
会員の皆様とはここで解散し、私は一人桜山神社を参拝させていただき、神風連の師・林桜園先生の墓前で阿部景器烈士のお墓を復旧させていただいたことを報告致しました。
この度はお忙しい中阿部景器烈士のお墓の復旧に協力してくださった会員の皆様、本当にありがとうございました。
肥後の偉人顕彰会会長 永田誠


